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マテリアルゴースト

天才とキチガイは紙一重といいますしね。残念ながら僕はキチガイの部類のようですが。
うむ実に残念。
無念なりぃ~。

死にてぇ


ちょっとマテゴの主人公の口癖をかりました。
かなり便利ですねこれ。いやうん....マジで。
流行語対象に輝いてもおかしくないと思います。
そうなった時には日本は末期でしょうが。


死にたい!と言うのは何か違うけど俺も死を恐れていないタイプの人間です。
いや、ちがいますね。逆です
死を人一倍恐れている人間ですね

命とは有限なのですよ。
今更言うまでもなく当たり前ですけど。
結局何をしようと最終的に人は死に向かって進んでいます。

という事は何をしても結局死ぬんですから何もやる気が出ないわけです。
どこかで死ぬんでしたら明日死のうと10年後死のうと大差ないと思うわけで、だから俺は死ぬことを恐れてはないのです。

こんなことばかり考えていたせいか正直感情が薄れて来てます。
え?なんで急に感情の話!?と思ったそのアナタ、考えてみてください、1分後死ぬと考えてみてください。
楽しい気分になれますか?
なれないですよね。僕は常にそういう考え方で生きているのであまり楽しく生きれていません。

そんな時、運がないとよくぼやいている僕に友人が


99%当たるはずだったのに!は裏を返せば1%外れる。その1%という結末に収束しただけであって無い事ではない。
運という概念はなく、その確率に結果が収束しただけ。』

実に理にかなった理論ですね。



しかしコレはあくまでも確率を確率通りの数値にできる数の回数それを行わなくてはなりません。


例を出すと、コイントスで表が出る確率は50%裏が出る確率は50%。これではどちらが出ても別に問題はありません。
一定の確率です。
が、此処に表を出すと億万長者、裏を出すと死刑というルールを追加します。

やはりこれでも確率に変化はありませんが、これによって運という概念が生まれます。
確かに確率上は5割。しかし本当に5割かどうかを証明するのに、10回や100回の数で均等になるとは思いません。それこそ数万回とやればおそらく数値は均等に近い状態になるでしょう。1回の勝負において確率というものは運に負けるということです。

運という言葉は、本来不動の確率に対して人間が後付したものではありますが、運は存在するのです。
いえ、存在させているというのが正しい言い方です。


そう人間は日常生活、大なり小なり常に確率を計算してきています。

信号機が赤の時どうして渡らないと思いますか?
交通違反だから。という理由だけでしょうか?

ポイ捨てや二人乗り、その他俗にいう不良行為を一度も行なったことが無い聖人らだけだとは思いません。

つまり極論、車にはねられる確率が、低いから青信号で渡るんですよ。

しかしながら青信号でも絶対安全とは言えません。

50%引かれる赤信号と、0,001%引かれる青信号。
赤信号で渡れて青信号で弾かれる確率は確かに存在します。

限りなく0に近い、がなくもないんです。

あそこで無理してわたっていれば引かれなくて済んだ。
とはいえ未来予知なんて出来るわけでは無いし、仕方ないですね。

そう言って諦めがつく人が果たしてどれぐらいいるのやら。

いつ死んでも確率上はおかしくない、低くても運が勝る以上どうしようもないこの現実どうおもいますか?


俺的には実にくだらない。
本当にくだらない
そんなことばかり考えて楽しくない

あぁ何だこれ、うわぁ・・・・。



常にこんな感じになってしまう俺の思考回路は正直末期。
とは言え別に本気で自殺考えてたりしませんよ(`・ω・´)
何せ人一倍生きることに貪欲な結果、どこかで死ぬのならばいっそ今死んでしまった方がいいのではないだろうか?

と言う幼稚な考えです。
命の冒涜と言われてもしかたないですね。
しかし命とは...


あぁこれも書きたい議題でしたが流石にだるいので今日はこの辺でやめときますかね。
キチガイの長文なんて披露しても嫌悪されど、楽しく見れる人はいませんしね

それこそ俺並みに歪んでる人以外は。

あぁ死にてぇ
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